カテゴリー「見た・聴いた」の5件の記事

2015/02/01

どれだけ世界を愛していたか

Atsuihi

昨夜、31日の鈴木亜紀ライブ@高円寺JIROKICHIは、本当によかった。
素晴らしかった。
いや、友人亜紀ちゃんの歌は、前から素晴らしい。
言葉も曲も、その歌声も。
いま自分が愛情をテーマにした赤ちゃん絵本のラフを描いていて、そのことについて集中して考えているので、余計によく判っただけかもしれない。
ただ昨夜は、亜紀ちゃんも「今日は私すごく楽しい!のってるぜ!」と言って声もすごく出ていたし、常連のお客さんたちも今夜はここ最近でいちばんよかったと言っていたことは記しておく。

ラフが終わっていなかったので悩んだが、思い切って行ってよかった。
スタートから3曲目ぐらいだったろうか、亜紀ちゃんのさりげなく選び抜かれた歌詞をやっぱりいいなあと思いながら聴いていた時、なんだか突然わかったのだった。
ああ、世界をこんなに愛しているっていうことなんだ、と。
いいものは、いい作品は、どれだけ世界を愛しているかっていうことなんだ。
ヘルンさん(小泉八雲)を題材にした歌を聴いて思った。
ほら、八雲もどれだけこの世界を愛していたことか。
亜紀ちゃんはそれもちゃんと歌にしている。
涙が出た。

亜紀ちゃんのすごいところは、こんなにも世界のことを愛しているという歌を歌いながら、そこに絶妙に照れやおまぬけっぷり、へこんだり迷ったりする姿が折り込まれているので、まったくクサクナイということ。説教臭くもなく押し付けるでもなく、さらりと自由に、優しく、少し寂しがりで、でも孤独も愛している。その絶妙のバランス。
なんていい歌だろう。
亜紀ちゃんは素敵だ。

アンコールのラストに、私がいちばん好きな「旅人眠る」を歌ってくれたのが、とってもとってもうれしかった。また泣けた。
亜紀ちゃんをぎゅっと抱きしめて帰って来た。
一緒に行って初めて亜紀ちゃんの歌を聴いた幼馴染みも、「なぜか研修医の頃を思い出した。初心を思い出した」と元気になっていた。亜紀ちゃん効果である。

私も、どれだけこの世界を愛しているか、そうやって作品を作ればいいんだとわかった。生き物たちの営みを、そこにある掛け値無しの愛情を、それを描けばいいんだと。
わかると、偉大な先人たちはみなそうしているということにも気づいた。
人が作った素晴らしいものや出来事はみな、その人たちがどれだけ世界を愛していたかっていうことなんだ。
世界を愛している人がたくさんいる、それは希望だ。

愛だとか言うと気恥ずかしく思う人は多いけれど、こんな悲しい事件が起きている世だからこそ、今そういうものが必要なのだと思う。
最後にお気に入りの写真を1枚。
人が今見習うべきなのは、この偉大なカピバラさんである。

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出典:http://animalssittingoncapybaras.tumblr.com

2012/03/11

今日で1年

今日であの震災から1年…
たぶん、多くの人がそう思っている。
そして複雑な思いをたくさん抱えていることだろう。
昨日は、東京大空襲から67年目だった。
67年前の3月10日に、約2時間半で10万人以上の方が亡くなった。
その身元不明遺骨の照会は、いまでもこつこつ続けられている…
こういう日が2日続くとは…
怒りや悲しみや、そこに生まれた希望や絶望、追悼や先に向かう気持ち、愛しさも涙もそういうの全部ひっくるめて、祈ろうと思う。祈りって、それらを全部包み込める大きなものだったのだなと気づく。
何に対して祈るのか、それはなにか大きなものに対して、としか言えない。
宮沢賢治の「光の素足」に出てくる、大きなまっ白なすあしの、子供達に「なんにもこはいことはない」と言う人のようなものかもしれない。

今日という日になにをしようかと思っていたが、それはもう済んでいたのだと今朝思った。
3日前に、友人達が企画した「クラヤミノ・ガムランフェス」に行ってきた。ジャワ島には真っ暗闇でガムランの音を聴きながら瞑想する「ムルヨララス」というものがあるのだという。 さとうじゅんこさん(プシンデン/ガムラン合奏の女性歌手)が始める前に、「ジャワでは身内で集まって、壁に背をつけてまあるくなって、暗闇で聴くんですね…終わったあとに、去年亡くなった何々さんのことが浮かんだよーとか、窓の外に神さまが来ていたねーとか、みなで話すんです」と説明してくれた。どこか日本のお盆に似ているなと思った。「ブンミおじさんの森」という映画のことも思い出した。アジアでは、生者と死者は西洋よりも近い感じがする。その交流も、ゾンビなどと違って穏やかで柔らかだ。
そう思いながら、あけ目闇の中ゆるいジャワガムランとじゅんこさんの歌に身体をあずけていると、想ったことは死んだ人や生き物たちのことだった。地震や津波、原発事故で失われたたくさんの命…それは暗闇の中で瞳孔が拡大すると見えてくるというオーロラにも似ているのかもしれない。人によって違うらしいが、私にはうす青いような青緑のような薄い煙のようなものが見えた。それは逝ってしまったもののように儚い。暗闇の空間はとても広々としていて、なぜだか安心できた。明かりが戻った時に、人がいっぱいいたことと部屋の狭さに驚いたくらいだ。逝ってしまったもののことを想う、それは残されたものがどう生きていこうかということの始まりなのだと思う。

昨夜、日付が変わった頃、萩尾望都さんの「なのはな」を読んだ。
今日、という日に。
震災後、原発事故に衝撃を受けた望都さんが描いた、「フクシマ」を舞台にした2編と、プルトニウムを題材にした3編だ。望都さん、とてもストレートだ。怒りと悲しみと、もっと大きなものへと…おばあちゃんや牛や犬、区別なくみんな一緒の列車に乗っているのがいい。
これから読む方のために詳細は控えておく。

今朝目が覚めた時に「ムルヨララス」と「なのはな」、これが私の、今日という日なのだなと思った。

あとは祈ること。
なにに対してだろうと考え、なにか大きなものにと思い、それで望都さんの「フクシマ」の家族を描いた作品の中に宮沢賢治の「光の素足」が出てきたなとつながった。日本人には特定の神さまよりも「なにかおおきなもの」ぐらいの感じが合っているのだと思う。
祈ることに関してはもうひとつ発見があった。
パートナーの森川さんが気仙沼に行っているのだが、今朝「祈る気持ちがあれば、どこでもいいと思いつつ、いつも一景島公園でお祈りしてます」とツイートしていた。それを見て、「気持ちだけ、一緒にお祈り」とメールをした。そのあとMちゃんが高野山に向かっているというので「いいな!空海さんによろしく」と書いたら「はーい、ヨロシク伝えまーす。ぺすかさんの思いも込めて、空海さんのもとで祈りを捧げてきますね」と返ってきた。
ああ、祈りって他の人に託せるんだな、いいなあと思った。
私も、今日気仙沼の安波山で演奏する友人達(ファンファーレ・ロマンギャルド)のためにいい天気になりますようにと祈った。
そうしたら、それをロマ研究者の岩谷さんがリツイートしてくれた。
祈りは伝播するね!
だから、いろんなところにいるいろんな人に祈りを託す。
祈って逝ってしまったもののことを想うことは、残されたものがどう生きていこうかということの始まり。
さて、仕事しよう。
自分にできることをやる。
少しでもいいものを、少しでも世界に幸福をと思いつつ。

最近見た・聴いたもののことも書きたかったけれど、長くなってしまったのでまた。
写真は、TAIKUH JIKANGの川村くんに作ってもらった似顔絵影絵!似てますか?ジャワ風になっても鼻の低い私(笑)

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2011/10/30

音楽、ショーン・タン講演会

なんだか「違うなあ」という感じがあって進まなかった仕事、何がおかしかったのかに気づいたら、進み出した。素直に、素直に。

遅ればせながら、先週末のことを書いておく。
そら庵でのライブ。
ロイヤルハンチングスとエフラッパ。ロイハンは、大阪での展示の時に演奏してくれたふたり組。まーた素敵で奇妙な曲を聴かせてくれました。その「へん」な感じが良いのだ。バウロン(アイルランドの太鼓)も入ってみたり、自由気ままでよかった。
対してエフラッパは、アコーディオン&歌のスパン子さんとバウロンのトシさんのユニット。初めて聴いたのは、4月に震災後初めて出かけたライブ@下北沢のラテで。その時は涙が出た。まだ心が混乱して落ち着いていない感じが強かった時で、裸足で土を踏みしめて歌うスパン子さんと原始の響きを思わせるトシさんのバウロンがものすごく心になにかを注いでくれたのだった。音楽、やっぱり必要。で、そのユニットにいつのまにか、エフラッパという名前がついていたのだった。印象はやっぱり変わらない。土や動物、古い力強いものを思い起こした。

もうひとつライブ。
ロイハンの瀬戸さんが大阪に帰る前に、トシさんのいるアイリッシュバンドJohn John Festivalと一緒に、「国境の南」で。
これもよかったなー 瀬戸さんとトシさんの絡みは狂気を感じさせ、瀬戸さんとジョンジョンが一緒にやると音がとても色彩豊かになる。ロイハンの曲もいままでとは違うイメージに。「Partizan Maze」も「フォルクローレ風」も、とってもよかった。また聴きたいなー ジョンジョンの鳥のなんとか(ごめん、タイトル忘れた)というのもすごく好き。Johnちゃんのヴァイオリンは、のびのびしていて好き。即興で弾いたところが、少しグラッペリじいさん風だった。
さそった友達が、初対面のトシさんに「瀬戸さん寄りのニオイがする」と言ったのがおかしかった。

それから、ショーン・タン講演会。
ショーン・タンは、『アライバル』で知って、先日『遠い町から来た話』をとても気に入った作家。
これも行ってよかった。すごくいろんなことを再認識して、勉強になった。
絵本を作る上でのいろんなこと。
それを思い出すために、キーワードだけでも書いておこう。
テキストでは説明をしない。
現実「が」、奇妙なものである。大人になってしまうと、それが当たり前になってしまう。
まわりを注意深く観察する。
現実と等価にある別の現実を描く。
奇妙な現実や、偶然。キャラクターは反応によって現れる。
奇妙なシチュエーションを描くのではなく、その変わったシチュエーションに対し、いかに人が反応していくのか、対応していくのかということを描く。どのように振る舞うのかということ。
規定のものが違った意味を持ってくる。
示唆するだけでいい。
文字で語るストーリーと絵で語るストーリー。
すべてをコントロールしない。

彼と考え方や好みが似ているのだろう、共感できることばかりだった。私も「この奇妙な世界」というものにずっと惹かれているし、自分の意志で画面を埋めるのは好まない。偶然の要素というものを大事にしている。
今年のアカデミー賞短編アニメーション部門を獲った「The Lost Thing」を観られたのも良かった。3DCGアニメは、ぬるぬるしたりつるぴかした感触であまり好きではないのだけれども、この作品はしっとりしていて好きだった。話を聴くと、テクスチャーは彼自身がすべてペインティングしたらしい。なるほど!と納得。気が進まず説得されたところから完成まで10年!かかったそうだ。すごいー
それから後半の対談相手の柴田元幸さんのむちゃ振りで(笑)、会場にいらしてたきたむらさとしさんとクラフトエヴィング商會のおふたりが突然登場。昔デザイン事務所にいた時に、原稿できたむらさんの原画見て、奇麗さに感動したものだ…すごい方々を見てしまった。ミーハーな私w
誘ってくださった宇野さんが司会をされていて、盛況振りをとても喜んでいらしたので良かった。帰りに偕成社のSさんにもお会いできた。
私もがんばんなきゃなっ

2011/05/27

不思議と懐かしい

このあいだ、突然John John Festivalのannieくんから電話がかかってきた。
「いま、佐久島なんです〜」
びっくり。
まあ、そんな遠いところまでよく、ありがとう!よいところでしょうと、遠いけど親しい小さな島のお母さんのような気持ちに。こいのぼり展を見てくれて塗り絵も参加してくれたようだ。jhonちゃんに、「猫のもも」にも気づかれた(笑)

そのこいのぼり展を一緒にやっているテラオさんに案内をいただいて、「18回国際パフォーマンス・アート・フェスティバル(ニパフ11')」を神楽坂に見に行った。その日はテラオさんも入れて6人の方がパフォーマンスを披露したのだけれど、それを言葉で細かく説明しても伝わらない気がする。
それぞれまったく違う方法での表現だったのだけれども、共通して思ったことがあった。
この人たちはヘンだけど、悪い人じゃない(笑)
それぞれの方法で、世界を確認しているのだなーということ。子供が世界に触れて認識していくように、体を使って世界を実感しようとしているのだろう。叩いたり、吹いたり、響きを味わったり、声を出したり。
そして思い出した。子供の頃の自分が、それと同じようなことを延々と飽きずに繰り返していたことを。
なにかを弾いたら、そのぶるぶるする感触が面白くて、ただそれだけでずっと弾いていた。
息を吹きかけたら、その風や音が面白くて、疲れるまで吹いていた。
ひもを持ったらそれでなにかを叩いたし、棒を引きずって歩くだけでも楽しかった。
そういう単純なことに夢中になっていたことを、懐かしく思い出した。
ああ、そういうことなんだろうなと思ったけれど、もしかしたらまったくの的外れかもしれない(笑)
テラオさんは、面白い人だな!
またお会いしましょう。

そして、ジョナサン・キャロルの小説「天使の牙から」を思い出した。
最後に「死」を退ける方法・・・
ネタバレはやめておこう。
あれと同じことなんじゃないか、と思った。

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2010/05/29

2日目、3日目

展示2日目は、徹夜続きのあとなのでギャラリー行きはお休みに。
12時間寝たー!お昼過ぎに起床。
なんとか復帰して、夜は友人たけしくんがお手伝いしている「風の行方」へ。
古武術の甲野先生とデザイナーの山縣良和さん(http://www.writtenafterwards.com/jp/)の話を、飲みながら食べながら見たり聞いたり口挟んだり。
私は前回に引き続き参加、それを「いいなー!」と言っていた甲野先生ファンの母も今回参加。
すっごく面白かった。
また面白い人と知り合えたし。
隣になったカリスマ針灸師(新規患者さんは2年待ち!)のアシルさんは、高校生のときから甲野先生の稽古会に行っているそうだ。でも今回の集まりを見て、「武道系のとも違うし・・・なんですかーこれは。飲み会?なんなの、この居心地良さはー!」とけらけら笑っていた。
ファッションには疎いので山縣さんのことは知らなかったけれど、プロジェクターで見せてくれた作品やコンセプトドローイングはとても魅力的。なんでも、全然勉強ができなかったそうで、東京コレクションのトリの作品では「0点を目指してもいいんじゃない?」というゴミで作った(東京大学の建築学科から出たゴミがメイン)コレクションを発表、賛否両論だったそうだ。その作品も、ユニークな造形とアイデアで面白い。でも美人モデルたちはものすごい腹立てていたらしい(笑)
0点くん(姿は答案用紙)の話、よかったなー
62点とか58点にいじめられ、78点ちゃんに振られ(78点ちゃんは85点くんとつきあってしまう)、4点とか8点とかの悪い仲間ができる。卒業して、100点くんはヒーローに、95点くんはいい大学へ行き、85点くんはサッカー選手になり、78点ちゃんはパン屋さんに。4点とか8点の仲間はゴミ箱へ・・・「どうしよう」と考える0点くん。くしゃくしゃになってみたりしても、ゴミ箱へ行くのはいやだ、背中に落書きしてみたら面白かった、そして最後に体を折り曲げたら・・・紙飛行機になって飛んで行く。 こんな感じ。
0点だったから、きっと思い切ったことができたのだ。中途半端な点数でなく。0点を取るのは,なかなか難しい。
甲野先生の真剣を持った話で、「どうやって握ろうということばかり考えていたら、どんどんどつぼにはまっちゃってね。でも、『握らない』、できる限り握らないって考えたら、こういうふうにね(真剣をばさばさっと)、ものすごく速く動ける訳なんですよ」というのは面白かった。
他にも面白い話がいっぱいあったが、書ききれない。でも、とても繊細な方だなと思った。
「その場その場で柔軟に状況に対応していくというのが武道ですからね」というのは、どの分野の話にも当てはまることだ。だからもしやられたとしても、それが絵になっていればいいのだと。なにをしても絵になる、それが「境地」というものなのだろうな。「狸易者」の話もよかったなー
母も面白かったようで、「山縣さんの作品、あそこまで突き抜けてるってすごい!テリー・ギリアム並だわ~」と、ものすごい最上級の賛辞を贈っていた。

3日目は、ようやく洗濯などをし、午後3時過ぎからFALLへ。
キクさん、来てくださったのにお会いできずに残念~でも見てもらえてよかった。
三田村光土里さん、雨海さん、ありがとう!久しぶりに会えてよかったですー
また、近場で♪
たっくんとたっくん母も友達と来てくれた。
あと、佐藤健作さんと知り合いの方が映画の宣伝で来て、また世間は狭いなと・・・雪野さんとたぶん知り合い。津村さんの出演映画なので、真理子さんに知らせないと!
すずみさん、会えなかったけど、岸さんも来てくれてたよ~
帰る間際に会った美術作家の志村くんは、佐久島で一緒だった松澤さんのこと知っていて、「針をくださいって言われて」という話にちょっとウケてしまった。ふたりともすごい数・・・
夕べ良く眠れなかったのと、明日の準備のために7時過ぎに出た。
帰る時にちょっとのぞいた新しく駅前にオープンした駅ビルに、かつて四谷3丁目にあった美味しいパン屋「ASANOYA」が入っていてびっくり!
そんな3日目だった。

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