カテゴリー「考える」の10件の記事

2014/03/12

あれから3年

丸3年か…早い。
でも、時間が止まってしまった人、進められない人、ほんとにたくさんいる…
まだまだこれからだ。

あの日、私は「ぺんぎんちゃんのぼうし」の締め切り真っ最中だった。
ベランダから見えた地面がうねっていて、こんな地震は初めてだ、関東大震災がとうとう来たのかと思った。猫が一瞬私を振り返ってから、外に飛び出して行った。長い揺れの間、Macを押さえていたけれど、本の山から数冊落ちたのと、オウムガイの殻が落ちて欠けただけで済んだ。 揺れがおさまると、猫が申し訳無さそうに帰ってきた。

そのあとも、いろいろあったな… あの年は、津波の映像を見て原発事故が起きて、人ともぎくしゃくして、気持ちが落ち着かないまま作品を作らなきゃいけないのが辛かった。でも作らなかったらもっと辛かったに違いない。

次の年に「Where are we going?」という作品を作ったことで、初めて「ああ、やっと震災後の作品の1枚目ができた」と思えたのだった。そしてその次の年に、自分が本当に描きたいもの、やりたいことはなにかと改めて真剣に考えながら、「こどもの本」の表紙の作品を作った。 その作品がボローニャで認められたことは、本当にうれしい。 こうして考えてみると、あの震災の衝撃というものが、今年のボローニャへとつながっているのだ。

こうやって、あの震災は私の中でも生きているのだな。

Penguin6blackegg


2012/03/11

今日で1年

今日であの震災から1年…
たぶん、多くの人がそう思っている。
そして複雑な思いをたくさん抱えていることだろう。
昨日は、東京大空襲から67年目だった。
67年前の3月10日に、約2時間半で10万人以上の方が亡くなった。
その身元不明遺骨の照会は、いまでもこつこつ続けられている…
こういう日が2日続くとは…
怒りや悲しみや、そこに生まれた希望や絶望、追悼や先に向かう気持ち、愛しさも涙もそういうの全部ひっくるめて、祈ろうと思う。祈りって、それらを全部包み込める大きなものだったのだなと気づく。
何に対して祈るのか、それはなにか大きなものに対して、としか言えない。
宮沢賢治の「光の素足」に出てくる、大きなまっ白なすあしの、子供達に「なんにもこはいことはない」と言う人のようなものかもしれない。

今日という日になにをしようかと思っていたが、それはもう済んでいたのだと今朝思った。
3日前に、友人達が企画した「クラヤミノ・ガムランフェス」に行ってきた。ジャワ島には真っ暗闇でガムランの音を聴きながら瞑想する「ムルヨララス」というものがあるのだという。 さとうじゅんこさん(プシンデン/ガムラン合奏の女性歌手)が始める前に、「ジャワでは身内で集まって、壁に背をつけてまあるくなって、暗闇で聴くんですね…終わったあとに、去年亡くなった何々さんのことが浮かんだよーとか、窓の外に神さまが来ていたねーとか、みなで話すんです」と説明してくれた。どこか日本のお盆に似ているなと思った。「ブンミおじさんの森」という映画のことも思い出した。アジアでは、生者と死者は西洋よりも近い感じがする。その交流も、ゾンビなどと違って穏やかで柔らかだ。
そう思いながら、あけ目闇の中ゆるいジャワガムランとじゅんこさんの歌に身体をあずけていると、想ったことは死んだ人や生き物たちのことだった。地震や津波、原発事故で失われたたくさんの命…それは暗闇の中で瞳孔が拡大すると見えてくるというオーロラにも似ているのかもしれない。人によって違うらしいが、私にはうす青いような青緑のような薄い煙のようなものが見えた。それは逝ってしまったもののように儚い。暗闇の空間はとても広々としていて、なぜだか安心できた。明かりが戻った時に、人がいっぱいいたことと部屋の狭さに驚いたくらいだ。逝ってしまったもののことを想う、それは残されたものがどう生きていこうかということの始まりなのだと思う。

昨夜、日付が変わった頃、萩尾望都さんの「なのはな」を読んだ。
今日、という日に。
震災後、原発事故に衝撃を受けた望都さんが描いた、「フクシマ」を舞台にした2編と、プルトニウムを題材にした3編だ。望都さん、とてもストレートだ。怒りと悲しみと、もっと大きなものへと…おばあちゃんや牛や犬、区別なくみんな一緒の列車に乗っているのがいい。
これから読む方のために詳細は控えておく。

今朝目が覚めた時に「ムルヨララス」と「なのはな」、これが私の、今日という日なのだなと思った。

あとは祈ること。
なにに対してだろうと考え、なにか大きなものにと思い、それで望都さんの「フクシマ」の家族を描いた作品の中に宮沢賢治の「光の素足」が出てきたなとつながった。日本人には特定の神さまよりも「なにかおおきなもの」ぐらいの感じが合っているのだと思う。
祈ることに関してはもうひとつ発見があった。
パートナーの森川さんが気仙沼に行っているのだが、今朝「祈る気持ちがあれば、どこでもいいと思いつつ、いつも一景島公園でお祈りしてます」とツイートしていた。それを見て、「気持ちだけ、一緒にお祈り」とメールをした。そのあとMちゃんが高野山に向かっているというので「いいな!空海さんによろしく」と書いたら「はーい、ヨロシク伝えまーす。ぺすかさんの思いも込めて、空海さんのもとで祈りを捧げてきますね」と返ってきた。
ああ、祈りって他の人に託せるんだな、いいなあと思った。
私も、今日気仙沼の安波山で演奏する友人達(ファンファーレ・ロマンギャルド)のためにいい天気になりますようにと祈った。
そうしたら、それをロマ研究者の岩谷さんがリツイートしてくれた。
祈りは伝播するね!
だから、いろんなところにいるいろんな人に祈りを託す。
祈って逝ってしまったもののことを想うことは、残されたものがどう生きていこうかということの始まり。
さて、仕事しよう。
自分にできることをやる。
少しでもいいものを、少しでも世界に幸福をと思いつつ。

最近見た・聴いたもののことも書きたかったけれど、長くなってしまったのでまた。
写真は、TAIKUH JIKANGの川村くんに作ってもらった似顔絵影絵!似てますか?ジャワ風になっても鼻の低い私(笑)

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2012/02/10

「被災地の声を聞く~震災から一年たって」

グループ展が近づき、焦っている今日この頃ですが、明日の夜はこれに出かける予定。

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クロストーク 「被災地の声を聞く~震災から一年たって」
2月11日(土) 夜7時30分より8時30分くらい 
深川いっぷくにて

ゲスト 駒林奈穂子(Reborn編集長) 聞き手 白濱雅也
衝撃的な震災からもうすぐ一年。
白濱雅也が寄稿している三陸釜石のフリーペーパーRebornの編集長、駒林奈穂子さんをお迎えして、被災地の現状やこれからなどを伺います。駒林さんは取材を通して被災地の心情をもっとも良く知っている方の一人と思います。現地の生の声を聞ける貴重な機会です。皆様ぜひお越し下さい。
無料(募金箱設置予定)
http://ippuku3.exblog.jp/14601049/

以前、このブログで「素晴らしい仕事」とご紹介したRebornの編集長さんです。
あの震災からもうすぐ1年…「もう忘れられているのではと思う時がある」という被災地の方の言葉に、「そんなことないですよ」と言うためにも聞きに行かないとと思います。
もしお時間ありましたら、行ける方はぜひ!

2008/06/27

犬の話しの続き

飢えた犬について、何人かの人たちと議論した。
その中で、もしかしたら犬達は死んでいないかもしれないという話しがあって、ネット上の不確かな情報に乗ってしまうことの怖さなども感じた。けっきょく、本当のところどうだったのかということは分からないけれども、「飢えた犬」は、もしかしたら少しましな話しかもしれない。 そうだったらいいと思う。
犬達に、少しでもよき日がありましたように。

それでも、自分の中でいろいろ考えたことは良かったと思う。
現代美術の作家である友人が、「芸術の形態は様々ですし、展示される作品が、人が楽しむための芸術なのかどうかを超えて、何かの問題提起の一端になるのかどうか、という部分も含まれるのが、現代の芸術(これは、本来の芸術という意味ではありません)の特徴だと思います。誰が作ったのか、とうことが今より重要だった昔と違い、無数にいる個々の作家の評価や名前よりも、現代アートそのものにどんな現象が起こっているのか、ということがより重視されているからです」とコメントしてくれたのを読んで、なるほどと思った。でも私が単純に思うのは、「人間の議論や問題提起のために、生き物の命を粗末にするな」ということだ。他の手段だっていくらでもある、他の人も書いているように、自分を飢えさせて展示をしたら、すごいなーと思う。議論や問題提起のために、他の生き物の命を奪うというのは、まったく違うと思うのだ。それだけは、私は確信を持って思う。道義とか関係無しに。
そして彼女と共有できたのは、アートというのは、作品と見る人の間に起こるもの。判断は見る人の側に委ねられる。私たちは、ただ作るだけだということ。本当にそう思う。
私はまだキャリアが浅いので、酷評というものを受けるのもこれからかなあと戦々恐々としているけれど、(笑)でも、受けるだろうとか考えないで「自分の見たいものを作る」ことを忘れずに、シンプルにやっていきたいと思った。

ただ、私が最近の一部の現代美術と言われるものに、疑問を持っているのは確かなことだ。いろいろ調べた途中で、
このサイトも見たのだけれど、気分が悪くなった。何らかの意図や、理解されるべきコンセプトが有るのだろうと考える前に、その価値があるのだろうかと思ってしまう。もし、美術館やアーティストやキュレーターが、「現代美術はなんでもあり」「客が入ればいい」「注目されたから成功」と考えていたら、観る側はどうすればいいのか。観る側も、日々意識を研いで、自分の考えに自信を持てるようにしていないとなと思う。


2008/06/26

もう人間は滅んでもいいかも

まず概要を。
http://excelblog.14.dtiblog.com/?mode=edit&rno=1076

本人のサイト。
http://guillermohabacucvargas.blogspot.com/

もう、人間は滅んでも文句は言えないと思う・・・
素晴らしい人がいる一方で、判断力をなくした人間もいる。
「現代美術はなんでもあり」「客が入ればいい」という主催者がいるという実態が悲しい・・・人間は、ここまでおかしくなってきているのか?アートというものは、注意を喚起するものであればなんでも良いのだろうか?

署名サイト
http://new.petitiononline.com/13031953/petition.html

ミクシー内でもやっているようですね。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=27444120&comm_id=2101752

このギジェルモ・アバクク・バルガスという人の言い分は、
「犬の死については語りたくない・・・
 重要なのは路上で餓死する犬には無関心であるにもかかわらず、
 こういうイベントになるとこぞって観に来るっていうこと。
 Natividad Canadaについても同様のことが言えたのに、
 人々が同情するのは彼が死んでからではないか?」
だそうです。
言いたいことは分かるけど、犠牲は出すな。
作品という名のもとに、命を奪うな。
仕方なく餓死するのと、わざわざさせるのは違う・・・
連れてくるぐらいならご飯をあげる!
野良猫がおなかを減らしていたら何か食べものをあげる。
ささやかでも、自分のできる範囲のことをする。
私はそっちの方法。

2008/06/17

お墓参り

4月に、中学の同級生が立て続けにふたり、交通事故で亡くなった。
報せが回ってきたのはもうお葬式も全部終わった後で、
6月にI君のお墓にお参りに行くことになった。

15日、日曜日、有志8人でお墓参りをした。
高台にある、見晴らしのいい場所だった。
お墓にお線香とお花を供えて手を合わせ、みんなでぽつりぽつりと話しをした。
最初はみんなぎこちなかったけれど、少し経ったらとても味わい深くなった。
中学卒業以来に会っても、面影でわかる。
なんか、よいお墓参りだったと思う。
でもやっぱり、まだ死ぬには早すぎる。早すぎるよ。

人は本当は、根っこのところではみんな優しいのではないだろうか。思い出すと、やさしく切ない気持ちになる。そんな夜だった。
お墓参りのあと、みんなで精進落としに居酒屋に行った。
中学の時は飲んで話したりできなかったからね(笑)
これだけ時間が経つと、みんな結婚したり離婚したり、子供が3人いたり、退職して人生の転機だったり、いろいろある。子供の頃よく行っていた中華料理屋の娘のSちゃん。早くに子供を産んで上の娘がもう中学生だ。離婚して母子家庭でがんばっている。シモネタを連発してEくんに「おまえは〜!」と言われたら、「でも、シモネタは誰も傷つかないのよ。会社の飲み会とかでもすぐに誰かの悪口とかになっちゃうじゃん?そういう時もシモネタよ〜」と答えた。かっこいいじゃん。
そういうEくんも、昔はやんちゃで、ワルかった頃は(中学が荒れてた時代だから)先生にくってかかったりもしていたが、今は3児の父親だ。でも大人になってからも、「筋が通ってない」仲間をシメたりしたらしい(笑)
同じちょいワル仲間だったKくんは、みんなに私のポストカードを見せた時に「これがいちばんいい」と、「すばらしいとき」を選んでいた。同じくそれをいちばん気に入ってくれているAちゃんが、「あいつって、繊細で優しい?」と驚いていた。まあ、中学のワルなんてかわいいモノなのかもねー卒業式の時は警察を呼ぶか呼ばないかで学校と保護者会が揉めたが(笑)
「(死んだ)Iは、Hさんと一時期つき合ってたんだよなー」とKくん。そう、Hは絵がうまくて私といちばん仲のよかった子のひとり。だから私は、お墓参りに行こうと思ったのだ。Hが恋して、そばで見ていた私もドキドキしたのを覚えているから。
昨日集まったのは8人だったけど、連絡がついて「行けないけど気持ちは伝えて」「お花代は出したいから」と言った人は10人以上いた。
みんな、やさしい。
しみじみとした夜だった。
別れ際、みんな見えなくなるまで手を振っていた。


2008/06/12

みんななるべく幸せの方向で

最近の犯罪にはほとんど、「確信的な悪」がない。
見えてくるのは「弱さ」だ。
「誰か止めてくれればよかったのに」という加害者の発言を知って、力が抜けた。なんだそれは。どこまで自己中心的で人に頼ってるんだ。なんか、ぐにゃぐにゃ。
挫折した人、辛い目に会っている人、人生がなかなかうまくいかない人、恋人がいない人、世の中には山ほどいる。幸せそうに見える人だって、人知れず悩んだり泣いたりしている。どんな社会にだって、不満を持つ人はいる。
でも、こんな事件を起こす人はそんなにはいない。
彼は肝心なところをさぼって、心を止める強さを持てなかったんだろう。弱い人間のほうが、歯止めがきかなくて怖い。
かまってほしい、というのは猫でも言う。かまって〜と言いたい気持ちは分かる。でも、人の孤独は人にかまってもらったって全部消えはしない。
依存することと、上手に頼ることは違う。
私は、まわりの人に迷惑をかけないぐらいには、強くなりたい。自分の気持ちは自分の中で片を付けられるぐらいには、強くなりたい。自分のまわりの人には、なるべく幸せでいて欲しいから。

2008/06/10

誰かを大切に思う気持ち

最近はひどい事件が多くて、文字にするのもいやなのでそういうことは普段書かないが、今日のは本当にひどすぎる・・・亡くなった方の恐怖と痛みは想像を超える。私はこういうのがいちばん怖い。突然すぐそばでこういうことが起こったらどうしようとよく考える。身がすくんで動けないんじゃないだろうか、逃げられるだろうか、抵抗できるだろうか。狂っている人間は、通常の何倍もの力を出す。それをよけられるだろうか。そして、自分が逃げることで他の人が犠牲になるかもしれない。それに耐えられるだろうか。

亡くなった方のひとりが、知人と関わりのある人だっただった。
彼にとっては友達の友達だが、友達達の嘆く姿を見ていたら、心に穴が開いたようで何も手につかなくなってしまったという。 私は彼の気持ちを考えると、胸が痛い。心配になる。
こういう気持ちを、犯人の男は持つことがなかったのだろうか。
わからないのだろうか。

友人のひとりが「私も世間を恨んだことがあったけど、どうして私はああいうことをしなかったのか」と書いていたが、それは周りの人がいたからだろう。彼女のことを考えている人たちが。 私も、恋人や家族を思う気持ちや、大切な友人たちを思う気持ち、それががあるからああいうことはしない、できない。 彼はそこまで孤独だったのだろうか。

以前、友人Nに良いことがあった時に、「Nが幸せなら、私も幸せー」と言ったら彼女は、「ぺすかちゃんが幸せなら、私も幸せー」と言った。その逆もそうだ。大切に思う人々が悲しんでいたら、私も辛い。だからそういうことは起こって欲しくない。

こういうことが起こらないために、世界に必要なものは、愛だと思う。誰かを大切に思う気持ち。彼は誰かに大切に思われていただろうか。もしそのことを知っていたら、いくら仕事が辛くても、誰かの大切な人を奪うことなんてできないと思う。


2007/09/11

自分に耳を傾ける

「自分の感情をないがしろにしてきたために、
 人の感情にも鈍感になっていました」

この文を読んだときに、何かが腑に落ちた。
だから、自分の気持ちというものを大事にしないといけないんだな。
自分の気持ちや感情を抑えすぎたり、無視してしまったりということは、遠回しに自分にも他の人間にとっても迷惑な話なのだ。
自分の体や心に耳を傾けて、なにが食べたいのか、なにをどうしたいのか、ちゃんと聞いてあげるときっと健康になるし、心のもやもやも減るんだろう。
それは、他の人の心に耳を傾けることにもなるんだろう。

2007/07/22

河合隼雄さん

先日、河合隼雄さんが亡くなってしまった・・・
もう79歳だったとはいえ、残念、とてもとてもかなしい・・・
こういう人には、ずっと生きていて欲しかった。
いま、ぱっと近くにある本棚を振り返ってすぐに見えるのは、
「物語とふしぎ」と「ケルト巡り」「猫だましい」だ。
「ケルト巡り」をめくってみれば、青空の下ハイクロスの前に立つ河合さんがいる。クロンマクノイズだろうか。

私が大事に思っていて、でも「現実的な」世間ではそれほど重要に思われていなくて、かなしいなと思っていたことを、河合さんはいくつも「それは大事なことですよ」と拾って言葉にして本にしてくれた。物語の必要性、ファンタジーの大切さ、猫の偉大さ、遊ぶことの重要性、作り話の効用、自然との人間としての自然な関わり方、心の力の可能性・・・そんな大人は、あんまりいない。
河合さんの本を買う時は、ちょっと照れて、ふふふと嬉しかった。読むと元気になるからだ。
心を遊ばせることの大切さ、心の自由の大切さを、説得力を持って言ってくれた人だった。こんなに「こころ」や「たましい」について優しく真剣に考えて語ってくれた人はいない。

嘘つき学会の会長だから、
亡くなったのも嘘じゃないだろうか。
どこか、アナザーワールドに
行ってしまっただけかもしれない。
さようなら、また会う日まで。

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